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聖書神学舎 Japan Bible Seminary
所蔵図書紹介


蔵書の中からいくつかの注目すべき図書を紹介します。

(2010年12月7日 更新)


書名 旧約聖書から福音を語る
著者 D.M. ロイドジョンズ
出版社 いのちのことば社
出版年 2008
旧約聖書から福音を語る ロイドジョンズの講解説教はすでに何冊も翻訳出版されましたが、この本には、ロイドジョンズが旧約聖書から語った21の伝道説教が収録されています。取り上げられた聖書箇所は創世記3章に始まりゼカリヤ書8章まで、広範囲に及んでいます。それらのほとんどは、彼が南ウェールズ地方のサンドフィールド教会で語った夕拝の説教でした。ロイドジョンズは聖書講解者として広く知られてきましたが、伝道者としての側面はあまり紹介されていません。英国の教会は、少なくても私が英国に滞在していた1980年代までは、多くの教会が朝と夕に礼拝を持っていました。そして夕拝は伝道説教と決まっていたのです。日本の多くの教会もかつてはこのような礼拝の持ち方をしていましたが、現在、毎晩伝道夕拝をしているところはごくまれでしょう。この説教は、そのような機会にロイドジョンズが語った伝道説教です。それはすでに50年も経過していますが、時代を超えてどれも私たちに福音の核心を明らかにしているだけでなく、旧約聖書からどのように伝道説教をすることができるのか、良い見本となっています。(鞭木由行)



 
書名 Man and Woman, One in Christ.
著者 Philip B. Payne
出版社 Grand Rapids: Zondervan
出版年 2009
Man and Woman, One in Christ. フィリップ・ペイン先生は旧約学者バートン・ペイン博士のご子息で、自身は新約学を専攻された。ケンブリッジで学位を取得した直後、トリニティ神学校で講義する先生はまさしく才気煥発であった。その後、先生は7年ほど福音自由教会の宣教師として来日、聖書神学舎でも教えてくださったが、健康上の理由で帰国を余儀なくされた。1979年、来日中のお父様が富士山で遭難、聖書神学舎も捜索に協力したという悲しい報せを評者は英国で聞いた。
 本書は先生のライフワークの集大成で、教会内で女性が男性を教えたり指導したりすることの是非を問うものである。このテーマは20世紀後半から、米国の福音派において頻繁に論じられてきたもので、一方に女性教職を拒む伝統主義があり、他方には平等主義がある。
 問題を解決すべく、先生は「女のかしらは男」であるとする第一コリント11章2−16節、教会内で妻たちに沈黙を命じる14章34-35節、「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません」とある第一テモテ2章8−15節について、詳細な釈義を展開する。また、男と女、夫と妻の関係を語るガラテヤ3章28節、第一コリント7章、エペソ5章21節以下やコロサイ3章18-19節に検討を加え、女性が監督や執事になり得たかどうかを第一テモテ3章やテトス1章から考察する。
 その結果、パウロは教会と家庭における男女の平等性を積極的に擁護したという結論に達する。第一コリント14章34-35節は、大多数の学者とともに「挿入interpolation説」に与し、第一テモテ2章では理解の鍵となるauthenteinを、教会が認めていない権威を不当に横取りすることを意味していると解釈する先生の議論には総じて説得力がある。この問題に関心を抱く方々に本書をお薦めしたい。 (内田和彦)



 
書名 十五年戦争期の天皇制とキリスト教(近現代天皇制を考える3)
著者 富坂キリスト教センター編
出版社 新教出版社
出版年 2007
十五年戦争期の天皇制とキリスト教(近現代天皇制を考える3) 富坂キリスト教センターは、明治期以来のドイツ国教会による日本宣教の延長線上にあって、1982年の改組以降は日本宣教を支える学際的な研究活動を重ねてきた。その成果は30冊余の書物として上梓されている。
 本書は「キリスト教と天皇制」第五期研究会(2002年から3年間に17回)の研究発表の論集である。第一章では憲法学者奥平康弘氏が、明治憲法の制定過程の論議を引用しながら、天皇制を国家の機軸と位置づけ、信教の自由には最初から制約を付していた国家政策を浮き彫りにしている。第二章では法学者伊藤彌彦氏が、東アジアにおける政教一致の文化には西欧的な政教分離、信教の自由が根付き得なかったことを示す。以下、帯の<「天皇制の狂奔期」に日本のキリスト者たちはいかなる態度をとったのか?〜カトリックから無教会主義に至るほぼ全教派およびキリスト教系学校の、戦時体制下の信仰の様態を克明に調査・分析>という紹介がまことに的確である。「少数宗教とはいえ、それなりの自己同一性を目指していたキリスト教の教会、学校、諸団体がその天皇制をどのように理解し、対処したか」を視点として、学者、研究者らが、戦前戦中の史料に基づく詳細な検討をしている。研究会の活発で真剣な議論の様子を垣間見るような、真摯な自己批判と鋭い切り口を伴う分析である。歴史的な資料としての価値を持つことになる一冊であろう。(赤坂泉)



 
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